最近、いろいろ思うところあるので、雑感も書いてみようと思います。いろいろって例えば?…終活とか、身体が弱ってくることとか。一方で頭は元気だったりすることとか。
今エクセルシオールカフェで「金木犀(きんもくせい)ソーダ」が季節限定で販売されていて、飲んでみたら、きんもくせいの香りがするようなしないような、シャインマスカットのゼリーを砕いたものがグラスに沈んでいて、濃い色のチェリーが浮かんでいるきれいでおいしい飲み物でした。
きんもくせいは、すごい。これ以外に、どんなに存在感がある花でも、町じゅうをその香りでいっぱいにするものはない。駅やスーパーへ歩く日常に、突然ふっと「秋」が香ってきて、私の誕生日が近いなと思う、ということを毎年経験しています。
同じ時期に、柿の葉が紅葉し始めます。カラフルなんですよね、柿の葉は。濃い緑~黄色~濃いオレンジのグラデーション。場所によっては、腐って落ちた柿の実をよけながら歩く。
そしてまた思い出す。「思い出」という歌を、小さい頃、父が運転する自転車の荷台で聴いたな、ということを。思い出-歌詞-由紀さおり・安田祥子-KKBOX いろんな歌詞がついていて、これとは違う歌詞のバージョンを学校で習ったこともあって、正しい表記を見たことがなかった…ので、今この瞬間に気づいたのは、「かき」は柿ではなくて垣だったということ。柿の花は赤のような目立つ色ではなかった。紅葉して実がなって初めて、ああ、あれは柿の木だ、と気づくような、地味な小さい黄色い花だ。勘違いって面白い。
小さい頃、父といつも自転車で出かけるような仲のいい親子だったのか?自分の自転車はなかったのか?というと、小学2年生くらいの頃、私は病弱でほとんど学校に行っていなかったんだけど、父はそれを気にして、よく私を厚着させて自転車に乗せて、町を一周してくれたんですよね。私は学校を休んでいるので、クラスメイトに見られるのが恥ずかしくて、いつも下を向いてた。父はその頃出張が多くて、行った先で必ず絵葉書を買ってきてくれた。「木曽路」とかあったな。「りぼん」や「なかよし」の付録や、そういう絵葉書のような大事なものを入れておくビニールの宝箱があって、ときどき出して眺めてた。学校を休んで、教育テレビの幼児番組を見たり、ラジオを聞いたり、母と新聞の「漢字博士」っていうクイズをやったり、クロスワードパズルをしたり。絵を描いたりもしてた。なんという無為でぜいたくな時間。
つまり、病弱で休んでいたけど、ぜんそくの発作が起こるのは夜中で、昼間はわりと元気に子どもらしい遊びをして過ごしてたってことですね。ぜんそくの発作も、原因がダニやらハウスダストなのに、いつも目の前で布団を干して叩いたりしてたし、畳の部屋にわざわざカーペットを敷いたりしてたので、今なら布団をダニのつかない素材にするとか、布団自体に掃除機をかけるとか、別の対策をしていたら、簡単に軽減したかもしれません。そもそも母はかなり心配性だったんじゃないかな。私は実は学校を休む必要のない子どもだったんじゃないだろうか、小さい頃からもっと外に出て走り回っていたら、もっと運動のできる筋肉質な子どもになれたんじゃないだろうか、と思うこともある。けっこう、よくある。
母とよく、こたつでみかんやぶどうを一緒に食べた。ほかの家族は果物があまり好きじゃなかったけど、うちには季節になるとデラウェアがいつも大量に送られてきて、すごいスピードで食べるのが得意になった。母はだいたいいつも怖い人だったけど、寝るとき、母に布団をかけてもらわないと、どうやっても布団と体の間にすきまができて、スース―して寒かった。やさしかったときのことばかり、今は思い出す。
母の葬式の日、玄関からどこかの猫がニャーニャーうるさく鳴きながら、当然のように何度も入ってこようとしたけど、父が怒って何度もつまみ出した。近所に猫が住んでたのは知ってたけど、そんなにうちに来ることはなかったから、猫なりに何か事情があるんだろうか、そんなに入りたいなら一度入れてやれば…と思った気持ちがなんだか強く残ってる。その猫に実は母が乗り移っていて、普通に帰宅してるつもりだったらかわいそうなので、一度抱いて家に入れてやって様子を見てはどうか、とか。
今の私の家にはもう16年も飼ってる猫がいるんだけど、人間?と思うほど私とコミュニケーションを取りたがる。葬式の日の猫がもしも母だとしたら、猫の寿命は長くても20年足らずなので、2回生まれ変わってうちの猫になってたりして。寂しがりやなくせに、寂しいと怒って暴れて子どもたちに恐れられてた母を、今毎日かわいがって抱っこして、毎晩一緒にぬくぬくと寝ているとしたら、少しは幸せにしてあげられてるだろうか?
香りは記憶を呼び覚ます、といわれているらしい。毎年同じようにきんもくせいの香りに気づいて、同じことを思い出して、しみじみとするのが、私は好きなんですよね。楽しいことばかりではなかったけど、私にとってはとっても大事な記憶なんだな、と思います。