映画を何でも見まくっている私としては、フランスの女優といえばイザベル・ユペール(カトリーヌ・ドヌーヴやレア・セドゥと並んで)で、3年前に新国立劇場で彼女が「ガラスの動物園」をやったときは、劇場の会員になって2回見ましたが、芸術劇場の演劇は全然チェックしてなかったので、今回もあやうく見逃すところを、一般発売後に気づいて無事、今日みてきました。
今回は一人芝居です。世界史ぜんぜん知らないし、午後2時からの舞台の前についランチをしっかり食べてしまったので、ついていけるか不安でしたが…
ひとことで言うと、”刑死”の観念が大きく変わってしまった。大きい孫がいてもおかしくない年齢になって、人生におけるこんなに大きな影響を受けることができて、目が開かれたような思いです。いや、正直、何度も眠くなったし、繰り返しが多い長台詞が延々と続いて、背景もストーリーもよくわからないままなのですが、イザベル・ユペールの自信と気品あふれる演技が、かっこつけやハッタリじゃなくて、自分に死すべき理由など一ミリもなくても、気高く死を受け入れる、という心理がありうることに、初めて気づかせてくれたのです。
歴史上あまたいる、処刑された王族や軍属の人たちの多くは、死をおそれて、死にたくないと泣き叫んだり、自分をそんな境遇にした人たちに罵詈雑言をまき散らしたかもしれません。人間ですから。でも今日の彼女の演技を見て、今までメアリー・スチュアートが、あるいはイザベル・ユペールが、生きてきて政治や結婚や恋愛や映画や舞台や、いろんな場面で、たまにはわがままを言ったり、いやな女であったり、付き合うべきでない人とつきあったり、誰かを不必要に傷つけたり、そんなあらゆるいいことも悪いことも、全部ひっくるめて、「私の人生は美しかった」と言い切られたような気持ち。
舞台が終わって幕が下りて、メアリー・スチュアートがイザベル・ユペールになって再登場したときの彼女の誇らしげで気品と感謝にあふれた表情を見て、なぜか泣きそうになってしまいました。どんな人生を送ってきても、明日が最後という夜に、強要されてしまったタイムリミットだからこそ、最高に美しく、自分らしく、なんなら全身エステやってメイクも髪もネイルも服も完璧にして、美しい思い出だけを思い出していてもいいことにしようよ。誕生と死だけは、結婚や出産やそのほかのイベントと違って誰でも一度しかできない上、誕生は自分でプロデュースできないけど死はできる。
私にもいつかくる死。若い頃より近く感じている。その日に向けて、美しくあろう、清潔に、背筋を伸ばして生きよう、失敗も多かったけど、それでも今こうやってがんばってる自分はなかなかのものなんだから、などと、卑近な自分の目標まで考えてしまいます。それくらい、今日の彼女は、イヤなおばさんみがなくて、ほんとうに気高かったんですよ。
この舞台がみられて、本当によかった。