エノキダケイコの日常

映画、本、旅行のブログを毎日楽しそうに書いているエノキダケイコの、それ以外の日常生活やお知らせを書くブログ。どれだけ書けば気が済むんだ!?

東京芸術劇場「Mary Said What She Said」2025.10.11

映画を何でも見まくっている私としては、フランスの女優といえばイザベル・ユペールカトリーヌ・ドヌーヴやレア・セドゥと並んで)で、3年前に新国立劇場で彼女が「ガラスの動物園」をやったときは、劇場の会員になって2回見ましたが、芸術劇場の演劇は全然チェックしてなかったので、今回もあやうく見逃すところを、一般発売後に気づいて無事、今日みてきました。

今回は一人芝居です。世界史ぜんぜん知らないし、午後2時からの舞台の前についランチをしっかり食べてしまったので、ついていけるか不安でしたが…

ひとことで言うと、”刑死”の観念が大きく変わってしまった。大きい孫がいてもおかしくない年齢になって、人生におけるこんなに大きな影響を受けることができて、目が開かれたような思いです。いや、正直、何度も眠くなったし、繰り返しが多い長台詞が延々と続いて、背景もストーリーもよくわからないままなのですが、イザベル・ユペールの自信と気品あふれる演技が、かっこつけやハッタリじゃなくて、自分に死すべき理由など一ミリもなくても、気高く死を受け入れる、という心理がありうることに、初めて気づかせてくれたのです。

歴史上あまたいる、処刑された王族や軍属の人たちの多くは、死をおそれて、死にたくないと泣き叫んだり、自分をそんな境遇にした人たちに罵詈雑言をまき散らしたかもしれません。人間ですから。でも今日の彼女の演技を見て、今までメアリー・スチュアートが、あるいはイザベル・ユペールが、生きてきて政治や結婚や恋愛や映画や舞台や、いろんな場面で、たまにはわがままを言ったり、いやな女であったり、付き合うべきでない人とつきあったり、誰かを不必要に傷つけたり、そんなあらゆるいいことも悪いことも、全部ひっくるめて、「私の人生は美しかった」と言い切られたような気持ち。

舞台が終わって幕が下りて、メアリー・スチュアートイザベル・ユペールになって再登場したときの彼女の誇らしげで気品と感謝にあふれた表情を見て、なぜか泣きそうになってしまいました。どんな人生を送ってきても、明日が最後という夜に、強要されてしまったタイムリミットだからこそ、最高に美しく、自分らしく、なんなら全身エステやってメイクも髪もネイルも服も完璧にして、美しい思い出だけを思い出していてもいいことにしようよ。誕生と死だけは、結婚や出産やそのほかのイベントと違って誰でも一度しかできない上、誕生は自分でプロデュースできないけど死はできる。

私にもいつかくる死。若い頃より近く感じている。その日に向けて、美しくあろう、清潔に、背筋を伸ばして生きよう、失敗も多かったけど、それでも今こうやってがんばってる自分はなかなかのものなんだから、などと、卑近な自分の目標まで考えてしまいます。それくらい、今日の彼女は、イヤなおばさんみがなくて、ほんとうに気高かったんですよ。

この舞台がみられて、本当によかった。

新国立劇場「白衛軍」2024.12.14

原作者ブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」という本を以前読んだことがあって、あまりの面白さにショックを受けたので、同じ作家の作品の舞台が国立劇場で見られると聞いて飛びつきました。「巨匠」は荒唐無稽なSFというか悪魔ものファンタジー(私は「DEATH NOTEみたい」と当時感想を書いている)だったけど、これは史実に基づいた作品。まったく想像がつかない。

一方私の体調は、風邪が治りかけでときどき咳が我慢できなくなるので、風邪薬を飲んで参加。当然眠気との闘いになってしまって、気がつくと舞台が変わっていたり、登場人物が増えていたり…。まだしばらく上演があるので、もう一度行き直すかどうか悩みます。

戦争の正義は勝ったほうである。というのが戦後のその国の価値観になるけど、世界全体を日本から見ると、今とても悪い存在感を強めている現ロシアに歯向かった方は正義だ。と反射的に、感覚的に、思う人が多いはず。だから日本で今安心して上演できるんだろう。ただその中で、エレーナの夫、現地の闘いを抜けて妻も置いてベルリンに逃げるタリベルクは悪い男として描かれる。やはり逃げたゲトマンの軍にいたレオニードとエレーナはその後付き合い始めるんだけど。ヨーロッパって個人主義どころか、ファミリーがすべての基盤になっていて、家族と共にいる人たちが正義で、家族を置いて出ていくものが悪、って言えるくらいだ。その辺の価値観が面白いです。

これ原作も読んでみたいけど、けっこう入手困難ですね。ちょっと探してみるか・・・。

2024.11.18 雑感 きんもくせいソーダ・秋

最近、いろいろ思うところあるので、雑感も書いてみようと思います。いろいろって例えば?…終活とか、身体が弱ってくることとか。一方で頭は元気だったりすることとか。

エクセルシオールカフェで「金木犀(きんもくせい)ソーダ」が季節限定で販売されていて、飲んでみたら、きんもくせいの香りがするようなしないような、シャインマスカットのゼリーを砕いたものがグラスに沈んでいて、濃い色のチェリーが浮かんでいるきれいでおいしい飲み物でした。

きんもくせいは、すごい。これ以外に、どんなに存在感がある花でも、町じゅうをその香りでいっぱいにするものはない。駅やスーパーへ歩く日常に、突然ふっと「秋」が香ってきて、私の誕生日が近いなと思う、ということを毎年経験しています。

同じ時期に、柿の葉が紅葉し始めます。カラフルなんですよね、柿の葉は。濃い緑~黄色~濃いオレンジのグラデーション。場所によっては、腐って落ちた柿の実をよけながら歩く。

そしてまた思い出す。「思い出」という歌を、小さい頃、父が運転する自転車の荷台で聴いたな、ということを。思い出-歌詞-由紀さおり・安田祥子-KKBOX いろんな歌詞がついていて、これとは違う歌詞のバージョンを学校で習ったこともあって、正しい表記を見たことがなかった…ので、今この瞬間に気づいたのは、「かき」は柿ではなくて垣だったということ。柿の花は赤のような目立つ色ではなかった。紅葉して実がなって初めて、ああ、あれは柿の木だ、と気づくような、地味な小さい黄色い花だ。勘違いって面白い。

小さい頃、父といつも自転車で出かけるような仲のいい親子だったのか?自分の自転車はなかったのか?というと、小学2年生くらいの頃、私は病弱でほとんど学校に行っていなかったんだけど、父はそれを気にして、よく私を厚着させて自転車に乗せて、町を一周してくれたんですよね。私は学校を休んでいるので、クラスメイトに見られるのが恥ずかしくて、いつも下を向いてた。父はその頃出張が多くて、行った先で必ず絵葉書を買ってきてくれた。「木曽路」とかあったな。「りぼん」や「なかよし」の付録や、そういう絵葉書のような大事なものを入れておくビニールの宝箱があって、ときどき出して眺めてた。学校を休んで、教育テレビの幼児番組を見たり、ラジオを聞いたり、母と新聞の「漢字博士」っていうクイズをやったり、クロスワードパズルをしたり。絵を描いたりもしてた。なんという無為でぜいたくな時間。

つまり、病弱で休んでいたけど、ぜんそくの発作が起こるのは夜中で、昼間はわりと元気に子どもらしい遊びをして過ごしてたってことですね。ぜんそくの発作も、原因がダニやらハウスダストなのに、いつも目の前で布団を干して叩いたりしてたし、畳の部屋にわざわざカーペットを敷いたりしてたので、今なら布団をダニのつかない素材にするとか、布団自体に掃除機をかけるとか、別の対策をしていたら、簡単に軽減したかもしれません。そもそも母はかなり心配性だったんじゃないかな。私は実は学校を休む必要のない子どもだったんじゃないだろうか、小さい頃からもっと外に出て走り回っていたら、もっと運動のできる筋肉質な子どもになれたんじゃないだろうか、と思うこともある。けっこう、よくある。

母とよく、こたつでみかんやぶどうを一緒に食べた。ほかの家族は果物があまり好きじゃなかったけど、うちには季節になるとデラウェアがいつも大量に送られてきて、すごいスピードで食べるのが得意になった。母はだいたいいつも怖い人だったけど、寝るとき、母に布団をかけてもらわないと、どうやっても布団と体の間にすきまができて、スース―して寒かった。やさしかったときのことばかり、今は思い出す。

母の葬式の日、玄関からどこかの猫がニャーニャーうるさく鳴きながら、当然のように何度も入ってこようとしたけど、父が怒って何度もつまみ出した。近所に猫が住んでたのは知ってたけど、そんなにうちに来ることはなかったから、猫なりに何か事情があるんだろうか、そんなに入りたいなら一度入れてやれば…と思った気持ちがなんだか強く残ってる。その猫に実は母が乗り移っていて、普通に帰宅してるつもりだったらかわいそうなので、一度抱いて家に入れてやって様子を見てはどうか、とか。

今の私の家にはもう16年も飼ってる猫がいるんだけど、人間?と思うほど私とコミュニケーションを取りたがる。葬式の日の猫がもしも母だとしたら、猫の寿命は長くても20年足らずなので、2回生まれ変わってうちの猫になってたりして。寂しがりやなくせに、寂しいと怒って暴れて子どもたちに恐れられてた母を、今毎日かわいがって抱っこして、毎晩一緒にぬくぬくと寝ているとしたら、少しは幸せにしてあげられてるだろうか?

香りは記憶を呼び覚ます、といわれているらしい。毎年同じようにきんもくせいの香りに気づいて、同じことを思い出して、しみじみとするのが、私は好きなんですよね。楽しいことばかりではなかったけど、私にとってはとっても大事な記憶なんだな、と思います。

新国立劇場「デカローグ」プログラムA・B(1~4)2024.4.14~15

クシシェトフ・キェシロフスキというポーランドの映画監督がいて、テレビ用に作った「デカローグ」という10回シリーズの作品があるんだけど、なかなか日本では見るのが難しかったのを、新国立劇場でまさかの舞台化する!10本連続で!と聞いて、久しぶりに「クラブ・ジ・アトレ(優先予約できるメンバーシップ)」に加入してしまいました。

この監督の作品って、人間が誰でも犯しかねない過ちを、登場人物がまんまと犯してしまうんだけど、それを見る監督の視点が神様のように聖母マリアのように大きくて、どの作品もオチはないのに見ている自分の今までの過ちが赦されるような、不思議な感覚があるんです。少ない作品をゆっくり何度も見直す価値のある監督です。

ずーーっと見たかった「デカローグ」ですが、10本連続となると、休職中(かつ求職中)の身としては、そんなに先々の予定がわからないので、結局まとめ買いは難しく、「クラブ・ジ・アトレ」の優先予約の恩恵にはあずかれなかったのですが、割引でオペラシティのHUBに通えるのはちょっと嬉しい。

ずっと見たかった割に中身のことを何も知らず、現地でパンフレットを見て初めてこれが「十戒」を意味することに気づく始末。今回さっそく見る1~4はそれぞれ、「ある運命」「ある選択」「あるクリスマス・イブ」「ある父と娘」という副題がついているけど、それぞれが十戒のどれを表しているかは明確にはされていないようです。各作品内で主要人物たちは、危ない、そこは超えてはならない、というキワを超えたり踏みとどまったりします。

元の映画も素晴らしいんだろうけど、舞台も素晴らしいです。アパートの各部屋をかたどったキューブが並ぶ二階建てのセット。各回に合わせた装束で時折現れて、主要人物たちをただ傍観する共通の人物。たびたび登場する牛乳、流れる水の音。…こういう謎とかヒントとか、人間が陥る過ちとか、デヴィッド・リンチ監督の作品にもいつも登場するし、あの監督も決して罪深い者を弾劾することはないんだけど、全部なんか怖い。深淵からこちらを覗かれているような感触があります。一方のキェシロフスキ監督の作品は、全部、罪を犯しても踏みとどまっても同様に赦してくれる。見終わったあと、安心して普段に戻っていける。

個別の感想も書きます。

1「ある運命」はコンピュータープログラムの予想に反する事件が発生する、父と子の物語。聖母マリアのような叔母を演じるのが高橋惠子です。最初がこれっていうのは、なかなか辛そうだけど、私は2と4を最初に見て、この順番で良かったと思っています。父を演じたノゾエ征爾に感情移入するし、子どもたちの演技も自然で可愛らしく、胸を打ちます。

2「ある選択」重い病気で入院している夫と、愛人の子どもを妊娠した妻。同じマンションに住む夫の主治医との会話にもケンがあります。前田亜季益岡徹、人間のさまざまな局面を実感させる大人の演技です。

3「あるクリスマス・イブ」独身の女が、昔の不倫相手であるタクシー運転手の家に突然現れる。あれこれと無理を言ったり注文を付けたり、実に面倒でイヤな温難を演じる小島聖がまたうまいのです。運転手の千葉哲也も、ちょっとくたびれた感じがいいです。見終わったあと、自分自身のなかの面倒くさい部分が少しだけ赦せる気がしてきます。

4「ある父と娘」これも良かったなぁ。近藤芳正と夏子が本当に仲のいい、よすぎる親子のよう。話が進むにつれて緊迫感のあるやりとりが続きます。

それにしても出来が良い。とか上から目線で言うほど舞台のことはまったく知らないのですが、完成度が高いというか、細部まで凝っているというか、何と褒めたらいいのかわからずこんな表現になってしまいます。

芸術監督の小川絵梨子氏、イザベル・ユペールの「ガラスの動物園」といいこれといい、私のツボをぐいぐい押してきますね!もう一度ずつ見ようかな…それとも映画のBlu-rayセット買っちゃおうかな…。

お芝居や映画が大好きな人にはぜひ見ていただきたい作品であることは間違いありません。

特別展古代メキシコ マヤ、アステカ、テオティワカン@東京国立博物館 2023.7.26

このところ、見なきゃいけない展覧会が多くて困る。仕事一段落したので、ランチを食べに出て、今日なら行けるなと思い立って行ってきました。

時系列順にいうとテオティワカンメキシコシティ近郊)、マヤ(パレンケ、トニナ、チチェン・イツァ。ユカタン半島)、トルテカ(トゥーラ。メキシコシティ北)、アステカ(テノチティトラン、メキシコシティ近郊)。

私がテオティワカンに行ったのは2017年の年末。キューバに行くツアーがエアロメヒコのフライトで、メキシコ観光が1日付いていたので行ってきたという消極的な理由でした。ハバナ国営ホテルで0時過ぎまで「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ・バンド」の演奏を聞いて、ホテルに戻ったら寝る暇もなく起こされたのが3時、一睡もせずにテオティワカンへ直行して目を廻しながら太陽のピラミッドに登ったのでした。崩落の危険があるため、頂上の周囲に黄色いテープがぐるっと巻かれていたのを記憶しています。

予備知識ゼロで行き、帰って来てからも復習しなかったので、最後のチャンスだと思って真剣に展示を見てきました。

感想。昔の人たちの芸術センスが素晴らしすぎる。手のひらサイズの人型の工芸品が、どれもあまりに精緻で。ちょっとアジア人っぽい容貌の人たちが、ユニークな造形のカラフルな装束でそこに小さくいるのが、なんともいえず不思議で美しい。現代中国のアーティストの作品と言われてもまったく違和感ない感じです。

数十人~数百人のいけにえを伴ってピラミッドから発見された王妃の身体は、石室から体中まで全部真っ赤に塗られていて、その上にヒスイを組み合わせて作った仮面が載っている。なんとも激しい人たちです。発掘された本物の仮面や貴石が、赤い石室を模して展示してあるんだけど、ビデオやイラストでその説明を見た後、なぜか意外とこじんまりとして感じられて、本物の展示のほうが人がいなかったのがまた不思議な感じです。

ピラミッドは、登りたくなるのが人情で、頂上から見下ろすことに無性に満足感をおぼえるんだけど、重要なのはピラミッドの奥底の石室の方なんですよね。とんでもない重要なものや、信じられないくらい大きくて重いものをわざわざ運んできてくれて本当に感謝です。

SPARKS@LINE CUBE SHIBUYA 2023.7.25

大好きなミュージシャンや俳優の訃報が相次ぐ昨今、今年も彼らのライブが見られるなんて。77歳と74歳のメイル兄弟。今夜のステージも素晴らしかったです。

ANNETTE以降、しょっぱなは「So May We Start」が定番でよし。

2001年の初来日公演はアルバム「Balls」の頃。兄弟と確かタミーちゃんっていうイケてるお姉ちゃんのパーカッションだけのシンプルな構成だった。このアルバムタイトル曲も今日やってくれた。2006年の来日のときはCGをたくさん使った演出だった。2002年の「Lil Beethoven」からの「My Baby’s Taking Me Home」はタイトルのリフレインが延々と続く、どこかもの寂しい耳に残る曲。これも、あの頃のなんとなくマイナーなステージを思い出してしまう。

「Halfnelson」まで含めて全部のアルバムを買った私だけど、今日やった「Woofer in Tweeter’s Clothing」からの「Beaver O'Lindy」は忘れてた・・・。「Angst in My Pants」みたいな微妙に地味な曲は知らない観客も多そうだけど、楽しいこの曲の歌詞の意味を知ったら・・・。あと、「This Town」はみんな知ってるからいいとして、同じ時期の「Propaganda」から「Bon Voyage」は変拍子すぎて初めて聞く人はクラップしづらいと思う。その逆の「Music that You can Dance to」は彼らにしてはとてもシンプルな楽曲だけど、誰でもすぐにリズムが取れてすごく盛り上がる。ロン兄が語る「Shopping Mall of Love」も同じアルバムなのか。なんとなく「Seduction of Ingmar Bergman」にありそうと思ってしまった(両方持ってるのに記憶が、、)。

何度やってくれても嬉しい名曲「No.1 in Heaven」「When I Get to Sing My Way」。「When I'm with You」も佳曲、まさかの「Plagiarism」から。「Interior Design」はあまり聞きこまなかったので「The Toughest Girl in Town」も覚えてなかったけど、復習でMVを見てみたら昔の映画みたいで素敵です。

ニューアルバムからはもちろん「The Girl is Crying in Her Latte(ケイト・ブランシェットがいなくて淋しい」「Nothing is as Good as They Say(生後22時間の赤ちゃん談)」「Escalator(Bullet TrainやiPhone系の楽曲)」「It doesn’t Have to be That Way」、「We Go Dancing」アンコール前は「Gee That was Fun」。最後の最後に盛り上げて締めてくれた「All That」は「Steady Drip, Drip, Drip」からか。

もっと完全なセットリストは他のサイトに載ってますが、いつから聴き始めたファンにも優しい、まんべんなくカバーした曲目ですね。(FFSすごく好きなので1曲くらいやってほしかったなー)

彼らのライブが椅子のあるコンサートホールで見られるなんて感動だけど、「お兄ちゃーーーん!」って声援を送るのがはばかられるほどステージ遠かった。もう彼らを見に行く人は「クラスに一人はいる変わり者のみなさん」ではないのだ。他の国ではスタジアムでやってるのだ。それは決して寂しいことではなくて嬉しいことなのだ。

今回実は初めて、彼らのニューアルバムを買わずにライブに行ったんだけど、Spotifyでかなりリピートしたので十分楽しめました。今まで必ず一番高いエディションを買ってたのになぜ?熱が冷めた?・・・ではなくて、そろそろ私も荷物を減らし始めて終活に備えようと思ったんだけど、健康にしか見えない兄弟を見たらなんだか嬉しくなりました。若輩者の私のほうが先に行くかも?私もがんばって長生きして、彼らの200枚目のアルバムを聞かなくてはね・・・。

今夜もありがとう、ラッセル、ロン、スティーブン・ニスター、全サポートメンバー。

文学座公演「夏の夜の夢」@紀伊国屋サザンシアター 2023.7.7

日本の老舗劇団のひとつ文学座の「夏の夜の夢」を見てきました。小田島雄志翻訳、オーセンティックなシェークスピア劇です、セリフは。変わってるのは、妖精たちを村のむさくるしいおっさんたちが演じるという設定。オベロン&タイタニア夫妻の周りを、まだ舞台になっていないはずのおっさん妖精たちが取り囲む場面があったりして、ちょっと混乱したけど、楽しく濃い舞台でした。

少し前に珍しいバレエ版の「夏の夜の夢」を見たことを、このブログにも書きました。

blog.enokidakeiko.com

バレエの中でも特に可憐で可愛らしい作品だと思います。とにかく妖精たちの可愛いことといったら・・・、と感動したものですが、それをこっちでは、本物のおっさんがチュチュつけて演じます。これが不思議とちょっと可愛い。どんな人も可愛くすれば可愛いのかもしれない。(ほんとか)

妖精パックのキャラはいいかんじで強烈だし、ロバにされてしまうボトムはやっぱりおバカっぽくてなんとも愛嬌たっぷり。この二人の可愛さは性別や年齢に関係ないのだとみょうに納得しました。

バレエはもちろん歌もセリフもなく動きだけなので、”右脳で見て感じる”印象があるけど、こちらはすごく饒舌で理性をしっかり保たないとついていけません。1センテンスが長いし、倒置も多い。ただ、こっちのほうがストーリーが複雑ってわけではなく、語感や言い回しを楽しむ言葉遊びも多い。

舞台美術と音楽も特筆したくなる工夫がたくさんありました。音楽は芳垣安洋高良久美子によるパーカッションとマリンバの生演奏。ミニマルとはこのことですね。これだけで場の空気が決まるんだ。なんか雅楽みたいです。美術は、ワックスで作った小さな立体物をプロジェクションマッピングの手法で舞台上の幕に投影。元が小さなものだと思えない、複雑で壮大な世界を作り出していました。こういうのって技術の進歩で可能になった作り方だなと思います。

たくさんもらって帰ったチラシを見ていると、また舞台を見たくなって困る・・・。今年もいくつか見てしまいそうです。