エノキダケイコの日常

映画、本、旅行のブログを毎日楽しそうに書いているエノキダケイコの、それ以外の日常生活やお知らせを書くブログ。どれだけ書けば気が済むんだ!?

イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出「ガラスの動物園」@新国立劇場

2020年に来るはずだった海外招聘公演、2回延期されてやっと実現したとのこと。実は私は近くに住んでいながら、かつ何年もユペールせんぱいの映画を追っかけていながら、新国立劇場でこの公演が行われると知ったのは先行予約開始の3週間前。急いで「友の会」に入会してチケットを確保しました。大枚はたいてS席を2日間押さえたかいあって、1階の前から3列目、ほぼ真ん中に近い素晴らしい席。10/2は出演者4人揃ってアフタートークも!

イザベル・ユペールせが演じる役はいつも、絶対仲良くなれないクセもアクも強い中年女だ。このお芝居でも子供たちに、明るく気丈に自分を押し付けて疲弊させている母だ。徹頭徹尾ビッチ。予想通りだけど、すぐ目の前の生演技なので圧倒されます。こわい。そして浮いている。誰ともまったく交差しない、自意識のかたまりを演じ切ることにまったくためらいはない。その覚悟。

娘ローラを演じたジュスティーヌ・バシュレの演技もすごい。障害をもち、繊細でうまく生きられない女性の、子どものような感情の起伏。小動物みたいに弟やジムに飛びついたり、丸くなって黙る。泣きわめくとかひっかくとかの演技はしないで、ひたすら内向する。

息子トムを演じたのはアントワーヌ・レナール。「BPM」でHIVポジティブ活動団体の優等生的なリーダー役を演じた彼です。いまおそらく37歳。あの映画から5年経って、現在の生活に倦んで最後の挑戦を遂げようとする、あまり若くない青年の役がはまっています。

シリル・ゲイユの演じたジムの野心と他人に対する共感力も説得力があった。彼一人が黒人であることは、アメリカのお芝居をフランス語で演じてることと同様、自然なスパイスのように効いている。

このお芝居の出演者4人とも、演技に対してすごく誠実な、舞台に自分を捧げているような真摯さを感じました。その度合いが揃ってる。フランスの演劇界って充実してるんだなぁ。

一家の父の不在は、毛足の長いぬいぐるみの表面みたいな素材に覆われた家の壁面に、指で描いたたくさんの男の顏で表されてたのかな。

公演2日目に見たときは、予習をあえてしなかったこともあって、ユペールせんぱいに圧倒されつつ、おずおずと筋を追い、舞台の迫力に感動したのですが、最終日に見たときは筋や演出が頭に入っています。ユペールせんぱいにも、もう前ほど圧倒されません。むしろローラの気持ちに入り込んで、トムの痛みを感じて、ジムの戸惑いに共感して、一緒に苦しくなります。母アマンダも痛々しい。それに、動物園のガラスたちが花火みたいにはかなく思えて、終盤に向けて涙が止まらなくなってしまった。

角の折れた一角獣は「私を、今日のことを忘れないで」というローラの祈りかな。ジムをこの先ずっと見つめ続けて、戸惑わせ続けるんだろうか。ノンフィクションではないのに、原作者が込めた感情がリアルで、人間って複雑で何も思い通りにいかないけど愛しい、という気持ちでいっぱいになります。

すごく良かったなぁ。気づいて、体験できて本当に良かったです。感謝。